PREV
  • 実行委員会の活動
  • 2018.08.06

「人一生の育ち」を考える ’教育×経済’ 対話 第十回「21世紀の教育の役割」

金沢学院大学文学部教授 多田孝志氏

21世紀の「人一生の育ち」について視点を広げ、考えを深めていくシリーズ・イベント。第10回は金沢学院大学文学部教授 多田孝志氏より「21世紀の教育の役割」というテーマでお話をいただいた。グローバル時代における共創的対話の創始者として、これまで世界40カ国ほどを回りながら、現地の学校で教鞭をとるなど様々な学校での勤務経験を持つ多田氏。「教育の真実は現場にあり、学習者を事実として伸ばしていくこと以外にない。そのために理論と実践があるのではある」と徹底して現場性・身体性を重視してきた。教育者として、常に高みを目指し続けてきた多田氏は、今何を語るのか。教育実践の立場から、これからの教育はどこに向かっていくべきかということについて話を伺った。

「人の能力」とは何なのか

「間違えなく、今は教育大変革期です。」そう語る多田氏。人類史的に見ても希望ある未来社会を作るのか、破壊のシナリオに行くのか、分かれ目に来ているという。この分かれ目に、どういう視点で教育を考えていくべきなのだろうか。

 

「未来の教育を考えた時にまずポイントになるのは、子どもたちが置かれている現状をどう見るかということ。その次に学習方法をどう考えていくかということだと思います。特に私は、今の社会では”浅さ”が目立って仕方ない。例えば高校に行くと、歯ごたえのある論議ができておらず、浅い人間関係で成り立ってしまっています。こうした状況に対して、教育については多様な機関が連携していくこと、そして教育資源の活用が大事と申し上げたいです。」

 

まず子どもを取り巻く現状を、多田氏はどう見ているのだろうか。私たちはつい形式的な能力で大部分の子どもたちを測ってしまうが、理性だけでなく感性、直観力や冷静といった人間の持っている多様なものを伸ばすことこそが大事ではないかと語る。

 

「例えば東京大学に入る子はどんな子というイメージでしょうか。一方、出来が悪いと言われる子は、どういう子なのでしょうか。私は未来の教育を考えたときに、その概念を変える必要があると感じています。ハーバード大学の心理学者ハワード・ガードナーはMI理論(多重知能理論)で「人間が誰しも複数の知能を持っている。人によってある知能が強かったり、弱かったりする。また、自分の持ち合わせている知能のみならず、人間は様々な知能が統合されて、専門性を発揮される」ということを語っていますが、まさにその通りだと思うのです。

 

私もこのことを実際に感じ取った事例はたくさんあります。例えば、宮古島で学力が低い生徒たちが集まると言われていた高校での事例です。宮古島は川がないため、地下水で生活しています。しかし地下水が農薬や酪農の肥料で汚染されているという事実があるのです。そこで、私の親交のある先生がこの高校の生徒を集めて「みんなでこれをどうにかしないか」と調査をしました。化学肥料に代わるものはないのか、ということです。この子たちは、確かに学力で測られる能力は高いとは言えませんが、馬力と好奇心があるので、島中を歩き回って探しまくります。調べていくうちに、廃糖蜜というものが農薬に変わる薬効があることが発見されました。

 

これを一軒一軒の農家、酪農家のところにいって宣伝します。しかしほとんど使ってもらえません。ここで、厳しい対話力が求められるわけですね。やっとその対話力の果てに、何軒かが使ってくれ、なかなか効果があることもわかってきました。一方、高校の校長へは苦情がきます。「お前のところの高校生たちは、俺たちが必死になってやっている農業を否定しているのか!」と。これにも子どもたちは対応していきます。

 

さらには、たまたま世界水学会の会長をやっている先生がこの話を聞きつけ、会長推薦の形で全国大会に出場にすることになりました。発表したら、なんとグランプリになったのですね。そして、スウェーデンのノーベル賞授賞式の会場にもなっている、世界水フォーラムに参加することになるんです。ここまででも非常に大変なことなんですね。

 

しかし、参加したものの何しろ子どもたちは英語で説明が充分にできないんです。実際に行ってみると、ものすごく広い会場でブースを持って、18カ国の代表選手が審査委員の回ってくる中、英語でプレゼンをするわけです。もともと優秀な学生が出ても1回戦で落ちてしまうような大会でした。ここに出場したのは、暴走族、登校拒否の子も含めた3人の子どもたち。1日目はまるで話せなくて相手にされませんでした。すると暴走族の子が、「これじゃどうしようもない。ことばなんかどうでもいいから、自分たちの伝えたいことを伝えよう」と言って、2日目みんなして身振り手振りで必死に伝えました。結果どうなったかというと、日本初の世界ナンバーワンになったのです。だれが宮古島の、もっとも学習能力が低いと言われている高校の生徒たちが、日本屈指の高校が第一関門すら突破できないような大会で優勝すると思うでしょうか。

 

私はこのエピソードに触れて、私たちは表面的な学力指標に囚われて、実は潜在能力を伸ばすことに気持ちが向いていなかったんじゃないかと思いました。未来の教育があるとするならば、理性だけでなく感性、直観力や霊性というような、人間の持っている多様なものを伸ばすことこそが当てはまるのではないでしょうか。私はそんな風に考えています。

未来の教育に求められるものとは

2012年、外務省のグローバル育成懇談会で日本の子どもの内向き志向に対する危機感が打ち出された。多田氏は、このことについても、周りの大人たちが子どものもつ資質を引き出そうとするかに課題があるのではないかと語る。

 

「私自身は、文部科学省主催の高校生留学推進キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」にも関わりましたが、これは単に語学留学だけを重視しているわけではないんですね。スペインに行って世界チャンピオンのもとで空手を修行したい、パティシエになるための修行がしたい、本当に生きるとは何かをフィリピンの奥地に行って学んで来たい。そういう、1人1人の内なる欲求を叶えたいという思いで企画から行ってきたものです。すると実際に行った高校生は、ものすごく力を高めて、自信を持って帰ってくるんですよ。日本の子どもが内向き志向というのは、本当なのでしょうか。本来持っているものを十分には伸ばせていないだけなのではないかとも言えるわけです。」

 

ただし、WHOによる数年前の調査によると、日本の子どもは感情対応スキル、ストレス耐性が弱いとされており、内向き志向という事実は否定できない。

 

「カナダで高校の教員をやっていたこともありますが、カナダの子にとって発表するのは楽しいことなんです。でも日本にとって手をあげることは恐怖。失敗が怖いからです。未来の教育というのは、そういう日本の子どもたちが置かれている現状に対応していくこと。失敗することは素晴らしいこと、失敗から学ぶことがあるという教育を本気になってやらないでおいて、高いところから「これからはこんなことが必要だ」と言っても子どもには通じませんよね。そういう子どもたちの立場に考えを寄せて、彼らが外に出られる状況をどう作るかということが大事ではないかと思っています。」

 

多田氏は、未来の教育を考える上で2つ重要なことがあると語る。

 

「1つは人類史的視点。人類はどうやって今日まで歩んできたかという視点から、現状を見るということ。2つ目は具体的な事例を見ていくことだと思います。新渡戸稲造や朝河寛一さんのような国際人について知ることや、知る人ぞ知る存在について知ることも大事ではないでしょうか。

 

私が事例として挙げたいのが、こころみ学園の川田昇先生です。脳に器質的障害や身体的障害を持っている子たち、学校では暴れてしまい手も出せないような子どもたちとともに足利の地でワイン作りを行っている先生です。ひたすら暑い中寒い中もぶどう作りに邁進する環境を作って、最終的にはワインを作ることで、子どもたちに自立を促しています。最初は面白くないことがあるととにかく暴れていた子も、川田先生のもとで育っていくうち、身体を使って、お腹が空くまで必死に作業して行くうちに、下草の刈り方、ぶどうへの肥料のやり方についてプロフェッショナルになっていく。あるとき有名なソムリエがお忍びできて、最高のピュアなワインだと評価した。そこで、世界的サミットの食前酒に選ばれたのです。私は川田先生の生き方に未来の教育へのヒントがあるんじゃないかと思っています。」

 

では一体、未来の教育で育むべきものは何なのだろうか。

 

「私が最も大事だと思っているのは、国際社会の学力というものの再定義をすることだと考えています。ドイツでは、部分の学力ではなく、共鳴し合う集合体としての学力、いろいろな考えがごちゃまぜになってぶつかり合うようなものを統合的にまとめて何ができるかということを重視しています。私は世界40カ国回ってきてみて、異質は当たり前の社会になることは間違えないと思っているんです。様々な見解を集約して生かす力こそ、これから大事だと思っています。

 

今まで私たちは、気をつけ、と言われると気をつけしたくなってしまうような、機械論的な教育を受けてきました。これは悪いことではないと思います。しかし、そればかりだと臨機応変の対応力、主体性はできないんですね。機械論的からエコロジカルな、動植物がその場に応じて、多様なものがぶつかり合うことで良いものが出てくるという教育観をもっと日本に入れなくてはならない。さらに、チームで話し合う教育というものをどう学校教育に入れていくかを考えねばならないと思います。」

子どもたちに求められるものとは

多様なものとぶつかり合うために必要な対話力をどう身につけるのか。多田氏が授業を展開する際に意識することを伺った。

 

「今の子は自信がないんです。だから自分の中にいろんな考えがある、ということを発見し、出してもらうような場を作りたいと思っています。私は、何かを教えるわけではなく、あくまでサポート役。批判や反対意見を恐れず、アウトプットできれば、対話する力につながります。学び合いの中で新しいアイディアに気づいたら、それを皆で語る。意見を出し合った後は、他のグループの意見を確認する。これにより、また新たな発見が生まれる。子どもたちが知的興奮をたくさん感じられる環境にしていきたいと思うのです。

 

こうした授業をするとき、自分の中でする約束事があります。その1つが、共生、一緒に何かを学ぶという姿勢を持つこと。主体性というものに対する考え方です。東京大学にいた教育学者の佐藤学氏は、「主体性を身につけよというのはおかしい」と言っているんですね。なぜかというと、ある人の主体性が他のひとの隷属性を生んでしまうという要素があるからです。5人チームで行った時に、主体性は1人だけしか発揮できないものではないかということです。共同の中に潜む危うさを意識しないと、下手するとスクールカースト制度になっちゃうということ。そのことを認識しながら話していく必要があると思います。」

 

そして対話力以外にも、求められるものはあると多田氏は考えている。

 

「今の子どもたちに欠けている最大のものは、志や信念だと思っているんですね。私はアフリカにストリートチルドレンを調べに行ったときに、田舎に小さな学校を作っている若者と出会いました。聞いて見ると、ナイロビ大学を出た大変エリートなんです。これだけのエリートであれば、普通は博士か大臣か社長になるのが一般的。でもこの若者がが、なぜふるさとで学校づくりをしたのか、それは自分の一族であるマサイの人たちが、観光マサイに成り果てている状況を救うためです。この状況を救うには教育しかないという思いからくる、志があったからなのです。彼と数時間語り合って感動いたしました。今の日本の若者たちにもこういった志を持って欲しいと思っています。

 

そしてものの見方や考え方の柔軟性も求められます。野依良治博士は、全てのノーベル賞を取った人は共通して反権力、反権威的な傾向を持っている、と講演で語りました。これは政治的なことだけを意味するのではなくて、ノーベル賞を取るような人は、権威的なものが必ずしも素晴らしいとは限らないとわかっていて、他のものの見方や考え方を知り、受け入れる柔軟性を持っているということです。これを育むために何よりも重要なことは、異質なものとの出会いだと言われます。私たちは子どもたちに小中高大あらゆる段階で異との出会いを学びに持ち込むことが重要ではないかと思うのです。

 

ちなみに最高の教師は何か、と問われた時に、みなさんはどう考えるでしょうか。私は単に授業の内容を語る、説明するだけではなく、相手をインスパイア(学びに火をつける)する人だと思います。子どもたちに何かをインスパイアできる人は非常に少ない。学びへの意欲を高めるために我々に何が必要なのか。ここに意を注ぐべきだなと思っています。」

子どもたちが納得いく人生を歩むために

異質なものと出会い、ものの見方や考え方の柔軟性が大事だと語った多田氏。それは、各地で子どもたちと接してきて、逆に物事の見方が硬直化しているのを目の当たりにしてきたからだという。

 

「子どもたちは物事をみる視点が二分法など、ものすごく狭いと感じるのです。ですから意識的に、こういう考え方もあるよ、こういう風に生きてきた人もいるよと伝えるようにしています。例えば先ほどお話しした川田さんも、儲かる話ではないけれども、自分なりのやり方でああして人を育てていることに誇りと自信を持たれています。そうやっていろんな生き方、よさを私たちは子どもたちに伝えることも、微力ではあるけれどもグローバルな世の中に対応する人間形成につながると思っています。

 

また、これは東京大学で授業をしたときの話です。写真にあるマウンテンゴリラは、捕まって虐殺されようとしています。

 

なぜ、マウンテンゴリラはこんな目にあうのか、ということについて、東大内の多様な学部の学生を集まってディスカッションをしました。実際には10数個の理由があるのですが、このディスカッションが白熱するんです。国際関係論をやっている学生は、この肉がヨーロッパの貴族に高い金で売られていることを発見します。文化人類学をやっている学生は、ゴリラの子供は200万円でヨーロッパの動物園に売られているという事実に行きつきます。1つの事象について、多角的な見方ができるということが、ここでも明らかになります。こうしたことからも、自分の見方だけがすべてではない、ということが体感できたらいいと思うのです。」

 

もう1つ、子どもたち自身が多様な事象と直接関われるよう、機会を作ることが大事だとも語る。

 

「私たちは様々な人と関わることで人間的に大きくなっていきます。とするならば、未来の教育にとって人を様々な事象とどう関わらせるかということが非常に大きいですよね。特に重要だと思うのが、人間以外の生物との関わり。それが深い思考力や対話力につながるであろう、と思います。」

 

最後に、多田氏が数多くの子どもたちを見てきて感じることがあるという。

 

「未来の教育について、私は学びを構造的に見る必要があるのではないかと思います。子どもたちが本来持っている遊び心や知的好奇心、学びの基盤。その上にこそ新たな学びが想像されるべきです。どうも新たな学びばかりに気持ちが入ってしまい、基盤となる”心”の部分を軽んじているのでは、というのが私の思いです。

 

そして今の学生を見ていると、他者の目に本当に怯えているんです。自分の生き方を貫くよりも、他者の目を恐れる子が多い。だけどその内実は、自分に自信を持ちたいと思っているんですね。他との比較でなく、納得できる、誇りある生き方を希求できるように個を確立すること。そして他者とともに生きる喜びを得られるようにすること。教育は、子どもたちがこうした人生を歩むために精神や行動力を育む地道な営みであると思うのです。」

Q&A

– これからの学校のあり方を考えたときに、子どもの多様な個性・才能を受け入れる、百貨店のようなアマゾンのような、1つの大きなバケツのようである方がよいのか、いろいろな育ち方、違う種類のものが分散して存在して、自由に選べるような方が社会にとってよいのか、いろいろな考え方があると思います。多田先生のお考えはどうでしょうか。

 

多田:直接的な回答にはならないかと思いますが、今の教育の根本的な問題は、教師の負担や学習集団の規模だと思っています。私自身は、学級集団の人数は、先生たちの目が届くような形にすることが第一義だと思っています。そして1人1人特徴に応じてその子の能力を伸張させる仕組みを作っていくことかなと思っています。私は小学校の教員経験がありますが、いろんな個の状況を生かせる集団ができると、中にいる人の個性はとても伸びるなと感じますね。

 

 

– 自分自身はグローバル社会に疑問を持っています。日本の古民家を研究しているのですが、使われている材料や家の造りは日本の風土に合っているものだなと感じています。昔の生き方は産業廃棄物なども出なかった、など、国内のこれまでの歴史に学ぶことは多いはずです。戦後の海外志向や科学技術が入り込んでいますが、日本にあわないものも流入してきたと思っています。多田先生にとって、合うものと合わないものをいくつかあげていただけませんか。

 

多田:まずグローバル化とはそもそも何か、という概念を少し分析的に見る必要はあるかもしれませんね。グローバル化によって失われているものもあると思うし、経済格差などもグローバル化の影の部分ですよね。一方で、文化が広まっていったり、多文化共生することで無視されていた人権が是正されたりする、という良さもあります。そしてグローバル化は現実としてすでに起こっていることですよね。人と経済と情報が混じり合っている。その中で今まで育んできたよさをどう維持し、活かすかを考えることが求められていると思います。もしよければ、「持続可能な教育(教育出版)」という本の中で佐藤先生が冒頭におっしゃっていることがありますので、ぜひ読んでみてください。

 

 

– 東大で中高生に教育プログラムをやっているのですが、子どもたちの志は低いと感じています。原因は子どもたちを取り巻く環境と、教師側にも時間的・心理的余裕がないことではないかと思うのですが、どうしたらもっと目標を持てる、夢を語れる人が増えると思われますか。

 

多田:私は、今3つほど気になる点があります。1つは先ほどお伝えしたような、多様な視点が持てるかどうかという点。

2つ目は、通過儀礼としての体験の無さです。今の子どもたちには孤独体験・失敗体験・挫折体験といった体験が少ない。それが多様性の生まれにくさにつながっているのかもしれません。例えば、サッカーでゴールを外してしまったとか、そういう経験をしていく。そして、体験しただけで終わるのではなく、その経験の意義を、側にいる大人が伝えてあげる、体験の意味を内在化させてあげるようなことが必要でしょう。

3つ目は、教師自身が自分を広げる努力をしなきゃだめだということ。自分自身もいつも自分を高めよう、高めようとしているかどうか。私は能力がありませんから、佐藤学さんとか藤田英典先生とかと話していても、全然追いつかないんですよね。彼らは、ものすごく優秀ですから。でもなんとか自分を高めようとして、自分に課していることがあります。例を挙げると、毎年4月になると、高校の現代文の教科書を20冊くらい買うんです。いろんなものの見方がわかるからです。教師自身が常に自分を広げるようなことをやっていくと、子どもたちに何が必要かが解ってくるのではと思います。

 

 

– 豊かな感性の、広い視野を持った人になるための教員養成課程とはどういうものかについて、何かアイディアをお持ちでしたらお伺いしてみたいです。

 

多田:私の中では、重視すべきは現場性と身体性だと思っています。簡単にいうと、現場に行くことと、五感を通していろいろなことを感じることです。例えば対話とは、先生が、「今日の授業はどうでしたか?」と聞いた時にはっきりと答えることだけを指すのではないですよね。ボソボソ言ったりつぶやいたり、ふと手を挙げそうになったり。そういう子を見つけて、君、言ってごらん?といえるかどうか。普段なかなか発言が出来ない子が、こんな風に発言ができて、拍手をもらえると結構嬉しいものなんですよ。だから教師の側も感じ、見とる力ってすごく大事なんです。教員にそれを体感してもらうには、先進的な学校に行ってもらったらいいと思います。良い事例を、先生自ら感じ取る必要があると思いますね。

 

 

– 間主体性という言葉をお聞きしましたが、それはどういうもので、どのようにしたら引き出されるのか、先生の考えを教えてください。

 

多田:”間”(かん、はざま)について、一番わかりやすいのは”時”ということ。教育の中に”時”をどれだけ持ち込むかはすごく大きな課題だと思います。日本の先生が生徒に一番いう言葉は「早くしなさい」なんです。でも本当は、混沌や沈黙だって大事ですよね。たった10秒で、自分の中に内在するものが出てくるわけです。かつて東大で学生たちに課題を与えたときに、3ヶ月後に同じ問いを投げかけたこともあります。人と事象の間の中で育ちゆくものを日本は大事にしていないのではないかと思います。

 

– 子どもを持つ親としてお伺いしたいです。まずは先生という立場から親に対し、子どもにもっとこうして欲しいという想いがありましたらお聞かせください。そして先生がご自身のお子さんに対して、生きること、自信を持つことについて、具体的にどういうアプローチをされていたかもお伺いしたいです。

 

多田:まず教師としては、見守ってやってほしいと思いますね。脳科学では、子どもは見つめ合うと情動が湧いてきて、ニューロンがどんどん活性化して繋がっていくというような話もあったかと思うのですが、子どもは親との触れ合いによって、内在的な力がうんと増えてくると言われていますよね。そういう意味では、例えば膝の上に乗せて本を読み聞かせてあげたりして欲しいと思います。

私自身の話について言うと、子どもが小学校の教員になったのですが、いつも出世するなといっているんですよ。十分に職業を楽しめと。彼が納得できる人生を歩んでくれたらいい。それが人生の決め手になるんじゃないかと思うんです。それと、生きていると苦しいこともあるけれど、やはり楽しいことに満ちていると私は思います。失敗とか裏切り、挫折はある種当たり前で、それすらも自分の人生を豊かにする、人生の糧にする気持ちが大事ではないでしょうか。あとはうまくストレスと付き合う方法についても伝えてきたいですね。

 

 

– 受験制度についてお聞きしたいと思っています。兄が教育学部にいる関係もあって、受験に関する疑問を聞くのですが、例えば偏差値至上主義であることや、受験の制度に関する先生のお考えをお伺いしたいです。

 

多田:回答がまたずれるかもしれませんが、僕は高校のとき、実は登校拒否になった経験があります。劣等生中の劣等生で、3年間で3言しか喋れなかったんです。屈辱的なことがたくさんありました。でも、実は心の中で語っているんですよね。そんな人が後に大学でこうして喋っているなんて、誰も想像していなかっただろうと思いますよ。ですから、受験制度というのは、できれば子どもたちの潜在能力をなんとか見通すものに変わってきてほしいなと思います。

 

 

– 私立の中学校の教員です。先生の話に共感し、実践に持ち込んでもなかなか先生のあり方が変わっていかない感じがします。今すでに先生になっている人に、どういうことを伝えていくのがよいとお考えですか。

 

多田:すごく大事ですね。2つのことをお伝えしたいと思います。1つは、グローバル社会における教育とかいっても、先生は肩に力が入ってしまいますよね。だから、小さな工夫が大きな成果を生むよ、ということを伝えることだと思います。例えば物事を多面的に見ることを習慣づけよう、とか、日常的にちょこちょこと話すことを入れたらそれができる、というのが1つです。例えば経験があるのは、週のうち金曜日の夕方はディスカッションする時間を作って、自分が見聞きした良い方法について話すとか、いい事例の資料を入れる箱を作っておいて、見つけたらその箱に入れるようにする。参考にしたいものがあれば、コピーしてもっていけるようにするといったこと。そういうちょっとした仕組みをつくって、学んだことを共有すると、自分自身が高まるよということを具体的に伝える。あとは仲間づくりなんですよ。若い先生4-5人でいいから集まって、研究推進委員会をつくる、良い研究をするためにはこういうことが必要だよね、ということをやったら良いと思います。

 

 

– 先生が全国を回っている中で、子どもや先生がこういう風にしなければいけないという決まり、スタンダードと呼ばれるものがあるのではないかと思います。自分は大学で教えていますが、このことについてすごく教育学者の中でも賛否があります。多田先生はどのように捉えていらっしゃるか、どんなときに必要なのかというお考えを教えてください。

 

多田:スタンダードというのは、1つの過程だという位置付けをする必要は大いにあると思います。今学校でどういうことが起きているかというと、例えばついこの前まで学生だった1年目の新任先生に、学年主任をさせるような状態なんですよ。でもできっこないですよね。私の教え子には、過酷な状況によく泣いて電話かけてくる子もいます。そういう状況では、授業もうまくいきません。スタンダードというのは、そういう人たちが、まず授業を形としてできるようにするためのものだと思います。それはある意味でいたしかないと思います。

ただそればかりやっていると、その先生は全然伸びませんよね。授業とは冒険なんですよ。私が小学校のときなんて、雪が降ると「1日体育だ」なんていって、屋上に行って遊ばせるようなめちゃくちゃな先生でしたよ。でもそういうのが楽しくて仕方なかったんです。今の状況では、そういったことはできなくなってしまいますし、そのまま10年同じように先生をやっていたら、それしかできない人になってしまいます。あるいは、2-3km泳げる子どもに、小学校1年生だからといって、だるま浮きやけのびしかさせないような指導もあるようです。子どもたちの能力までも規制してしまうのです。ですから、まず一つの過程として使うという意識が大事でしょうね。

 

 

– 最後に、人一生の学びにおいて大事だと思うことはなんでしょうか。

 

多田:当たり前のことなのですが、自分の周辺の人には幸せになってほしいと思うんですよ。幸せの原点は、私は自由だと思っています。世界の中には、自分の人生を選ぶ選択権がないような人もいます。幸せの母体は、自分の意思で自分の人生をつくるということですよね。だからそれができることは大事だと思いますし、もしそれをサポートできれば私も幸せだと感じています。

未来教育会議の所感

kumahira

「20世紀の教育で、21世紀の人を創ることはできない」そう断言する多田先生は、教育学者として「グローバル時代の対話型授業」の研究に取り組み、大学では教員養成に従事し、そして、今日でも、日本中の学校で子どもたちに授業を行っている。日本学校教育学会や日本国際理解教育学会の会長を勤められた多田先生は、教育学の第一人者であり、同時に、子どもたちの可能性を暖かく見守り、育む教師の鏡のような方である。世界40カ国にも足を運び、クウェートやブラジル、カナダでも教鞭をとられた経験を持つ。そして、今でも、毎年4月になると、高校の現代文の教科書を20冊購入し、学び続けるという。人一生の育ちを教育学の立場から、そして人間として語って頂くのにこれほど相応しい方はいない。そんな思いで、本シリーズの最終回に多田先生にお話を伺った。

 

未来教育会議が探求し続けた先にある答えはすべて多田先生の中にあると言っても過言ではない。しかも、その答えが、すべて経験に裏打ちされている。多田先生のお話を、私たちも疑似体験するような感覚で伺った。講義も、対話型で楽しい。あっという間に時間が過ぎた。そして、多田先生のビーイングにたくさんのことを学んだ。

 

未来に目を向けた教育

理性だけでなく、感性や直観力も含めて、人間が持っている多様なものを伸ばすことが大事。

AI時代には、機械やロボットのできることは彼らに託し、人間は、人間が優れているものに焦点を当てることになる。五感を通していろいろなものを感じたり、気づいたりすることが大切。

 

益々大切になる自己肯定感

本来持っているものを伸ばせていないから、自己肯定感が低く、内向き志向になる。WHOの調査でも、日本の子どもたちは、ストレス耐性、レジリエンスが低い。カナダでは、発表することは楽しいこと、日本では、発表は失敗するかもしれない恐ろしいもの。この状況を変えなければ、グローバル時代を生きる人を育てることはできない。

 

教師が学びを創る

学校では、ぼそぼそ話したり、つぶやいたりしている子を見つけて、「ちょっと言ってごらん」と声をかける。話し終えたら、拍手をしてみる。いつも話さない子が発言して、みんなに十分意図が伝わらなければ、「どうしてそう思ったの?」と聞いてあげる。

 

ごんきづねの授業で先生が、「なぜ、ごんは、びくから魚を逃がしたんだろう」と質問。いたずらっ子の男の子が「きつねの機嫌が悪かったからだ」と言ったら、その突拍子もない発言に皆が笑った。いつもは笑われても平気なその子が、下を向いて悲しそうにしたのに気づいた先生が「何で?」と聞いてあげた。「だって沼地を歩いてきたから。僕のおじいさんは猟師で、きつねも獲って来るから、きつねの中には足が濡れることが大嫌いなやつもいるから僕はそう思った」と説明した。先生の一言によって、その子の発言は、クラス全体の深い学びに発展する。そんなエピソードを伺いながら、私たちも多田先生の授業に引き込まれていった。対話から学ぶ授業を、子どもたちがたくさん経験することで、多様性を味わい、対話の価値を知る大人になるのだと思う。

 

高校生には難題を与えよ

宮古島の高校生が、世界水フォーラムで1位を獲得したお話もとても印象的だ。偏差値の高くない農林高校の高校生が、宮古島の地下水の汚染問題の解決に取り組み、日本代表に選ばれただけでなく、世界大会で1位になったというストーリーは、偏差値という物差しの危うさを物語っている。彼らが、地下水の汚染のことを知り、問題解決のために島中を走り回り、解決策を探し、新しい農薬を使ってもらうために農家を説得して歩き、粘り強く取り組んだ結果、汚染問題の解決ができた。そして、世界大会でも、英語ができない中で、ボディラングリッジもフル活用して、伝えたいことを伝えた。自分の持っているすべての力を総動員して行動する彼らの能力は、偏差値では説明できない。でも、もし彼らに、このような経験をする機会がなかったとしたら、彼ら自身も、自分の能力に気づかないかもしれない。

 

体験を内在化

子どもたちが未来を生きる力を育むために、通過儀礼としての体験のなさが気になるという。失敗体験、挫折体験もよい。そして、周囲の大人が、体験から得たものを、位置を示したり、意義を示したり、体験の意味を内在化させることが大事という。学校の中でも、10秒の沈黙の時間を作ることができれば、体験を内在化することができるという。しかし、その10秒が、学校の中に存在しない。先生が一番良く使う言葉は、「はやくしなさい」である。子どもたちの様子を想像すると、先生にも共感できるが、内省する時間が必要というのも納得できる。

 

楽しく育ち続ける!

私たちは、人との対話、事象との対話、自分との対話を通して、知識や経験を自分のものにしていく。対話は、意味づけのために必要な過程。知識も経験も意味づけ、内在化することができなければ、学んだことにはならない。これから、学校でも始まる主体的・対話的で深い学びは、人一生の育ちに不可欠な学びを子どもたちが自分のものにする大切な教育改革であることも、多田先生の講義を通して実感できた。私たち大人も、経験を内在化させることで、楽しく育ち続けていきたい。