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  • 未来教育リポート
  • 2015.10.11

自分がやりたいからやる。先生とアーティストと子どもたち。

前回ご紹介したNPO法人・芸術家と子どもたちの「ASIAS(エイジアス)=Artist’s Studio In A School」。公立の小中学校や特別支援学級、幼稚園、保育園などにアーティストが赴き、ワークショップ型の授業を行うという取り組みです。普段は自身で授業を行い、学校では子どもたちの一番近くにいる大人である『先生』は、この「アーティストと作り上げる授業」とどのように向き合い、どのように取り組まれているのでしょうか。

 

お話を伺った北区滝野川第六小学校の長嶋俊作先生は前任の学校での活動を含め、これまで3度、ASIASに取り組まれています。

 

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昨年は担任されていた6年生12人の子どもたちと「パフォーマンスキッズ・トーキョー(PKT)」という取り組みにも挑戦しました。これは10日間程のワークショップ型授業を重ね、子どもたちが主役のオリジナル舞台作品を創作。本格的な公演を行い、保護者や地域の方々に成果を発表するというものです。

 

言われたことは素直にきちんとできるけれど、自分たちから何かを企画をしたり、自分が「こうしたい」という気持ちをなかなか持てないでいる子どもたち。そこを自分達の力で乗り超えてもらうために創作活動をやりたかったと長嶋先生はおっしゃいます。

 

「子どもたちは創作活動なんて、これから、やらないかもしれない。演劇というかパフォーマンスを0から作って上演するなんて、一生に一回かもしれないっていうくらいのチャンス。でも一生に一度のチャンスくらいのことをやりとげるということが、大きな経験になるだろうなというのがありました。」

子どもたちとの関わり方のアプローチが、全然違う

長嶋先生が「芸術家と子どもたち」と出会ったのは、前任校で特別支援学級を担任されていたとき。たまたま送られてきたパンフレットを目にしたのがきっかけだそうです。「正直、はじめてでよくわからない状態での依頼だった」そうですが、もともと出前授業を依頼する機会が多かったこともあり、学芸会に向けてちょうどよいと思い、応募されます。その後、芸術家と子供たちによるヒアリングを経て、「トリノマーク(通称)」という演劇ユニットが来ることに。学芸会で行う劇「11ぴきのねこ」の台本はあらかじめ学校側で用意し、アーティストには作品づくりを一緒にしながら演出をつけてもらいました。

 

「一番最初は身体を動かすワークショップで“猫になりきる”というのからはじまって。本当に猫みたいな子がいたりして、面白かったですよ。アーティストさんたちには我々と違うものの持っていき方、表現の引き出し方があって、子供たちとの関わり方のアプローチが全然違う。身体の使い方とか、コミュニケーションの取り方とか、我々がうけてきた学校教育のための教育とは違うトレーニングを積んできていて専門的ですよね、非常に。」

 

数年後、長嶋先生は再度ASIASに取り組みます。このとき先生には、授業に対する具体的で明確な目的がありました。

 

「1度目の関わりを踏まえ、せっかく『プロ』に来てもらうのなら、効果的なものを、もっと子供たちにとって、かえっていくものをやってもらおうと思えました。支援学級の子は自分の身体がどうなっているのかのボディイメージが無い子が多い。絵を描かせると足がとんでもないところから出てしまっていたりする。そこで自分の身体をイメージしながら動かし、身体を認識するということをやらせたいと思いました。芸術家と子どもたちさんからは、コンテンポラリーダンス作家のJOU(じょう)さんをご紹介いただき、身体を動かしてボディーイメージをつかむこと、さらに、身体を動かすことで言葉じゃない、身体表現でコミュニケーションをとっていくということをやりました。作品を作るんじゃなくて身体を使って遊ぶという感じで。プロのチェリストの方も来て、生演奏で子供たちの動きに合わせて音をつけてくださったり、逆に子供たちが音に合わせて身体を動かしてみたりして、とても贅沢な時間でした。」

その人なりの自由な表現 どうやったっていいんだよ

現在の勤務先である北区滝野川第六小学校へ赴任すると、長嶋先生は通常学級5年生の担任になります。素直でとてもいい子たち、でも自分を表現したり出すことが苦手。そんな子供たちの様子を見て、先生はここでもアーティストとの授業をやってみたいと考えます。

 

「通常学級の子は表現する、自分を出すってことが苦手な子も多い。そこで自分なりの自由な自己表現をやらせてみたいと思い、コンテンポラリーのダンサーの方をお願いしました。子供たちが見たことがなくて、一生見ないかもしれないものと未知との遭遇をさせたい。コンテンポラリーダンスは、その人なりのダンスがあれば成立するという世界だと思うので、自由な表現だったり、どうやったっていいんだよ、ということを見せたいと思いました。『本物に触れてほしい』という思いもありました。」

 

早々にASIASを依頼し、ダンサーの木野彩子さんとの2日間のワークショップで作品を作ってみることにトライ。子供たちから好きな曲を聞き、選ばれたSEKAI NO OWARI『RPG』に合わせて振りつけを考え、急遽、休み時間に発表会を行う程盛り上がったそうです。

 

しかし自分を出したり表現するのが苦手な子供たちが、最初から表現することを受け入れられるものなのでしょうか?受け身になって指示通りにやるだけになってしまったり、場を壊してはいけないと違和感を抱えながらやったりというように、アーティストとの授業になかなか踏み込めずにいたりするような子はいないのでしょうか。

 

「私自身には表現することが好きなんだというのがあるのですが、子供たちにはそういうことが無い子もいたり、空気をよんでやらねば、と思う子もいるかもしれません。でも一緒になって自分がやることで、子供たちをのせていくのが私のひとつの役割かなと思っています。アーティストさんは、たとえどんな表現であっても、その子がそういう表現をしたってことを認めて下さるんですよね。それこそ気を遣ってやってるとか、動きが小さかったりとか。でもそれはその子の表現だっていうことを認めて下さる。子供たちにとってもいろんな表現があっていい。私からしたら、もっとやったらいいのにとか、こんな楽しいのに勿体ない、と思うことも多々あるし、言ってしまうこともあるけど、『そうであっても、その子なりの表現したんだからいいんじゃないですかね』と言うのがアーティストですよね。そこらへんも、なるほどな、と。大人の思惑で動かすってばかりじゃないというところも勉強になります。」

 

誰かにやらされるよりは自由にやりたいんだって気持ちは子供たちにはあると思う、でも

翌年、6年生となった子供たちとは、「パフォーマンスキッズトーキョー」に取り組みます。発表の場となる学芸会に向けて準備が始まる前、先生は子供たちにある相談をもちかけます。

「学芸会でまたアーティストに来てもらおうと思っているけど、今回はどうする?0から作ってみる?台本ありきで今までの学芸会のようなやり方や演出だけお願いする方法もあるけど、やり方をどうする?と聞きました。」

 

子供たちはすぐに0から作ってみたいと答えたそうです。先生はさらに問いかけます。

 

「やるとなったらアーティストにお願いしきっちゃって”なんとかしてくれるだろう”というんじゃだめだよ。道は厳しいけどどうする?と。0から作るんだよ、何もないんだよって。自分たちの問題として取り組んでいくってことが必要だと思うので、本当に自分たちとしてやるのか、というのは何度も問いました。自分たちで決めた以上、逃げ場を作らないっていうか。」

 

何故そこまで何度も念を押したのでしょう。

 

「真剣にやるとなったら本当に大変な作業だと思うんですよね、0から作るって。アーティストをよぶのは、受け身でもできるけど、失礼だしもったいないという気持ちもあった。きちんとした気持ちで受けてほしかったんです。」

 

学芸会のやり方について聞いたとき、先生は子供たちがなんて言うと思っていましたか?

 

「0からやりたいと言うと思っていました。ほとんどの子がいうと思います。やりたいって。なんとなく楽しそうだと思うから。つらいこととか、大変なことっていうのはわからないけれど、自分たちで好きにするっていうことの魅力があって。子供たちには、誰かにやらされるよりは自由にやりたいんだって気持ちがあると思う。でも自由ってことがわかってない。その裏側にある責任は彼らにはまだはっきりとわかってない。なんでもいいのが自由じゃないよ。責任を持ってやるのが自由ってことだよ。『自由にできるって最高じゃない』って私も思うんです。でも『大変なんだよ』ってことは伝えます。だから一度、子供たちが宿題を考えてこなかったときはものすごく叱りました。自分達でやるって言ったんでしょ?やらされてるわけじゃないんでしょ?って」

連携と作品づくり

本番に向けて一緒に創作を行うのは体奏家の新井英夫さん。北区滝野川第六小学校校歌の作詞を手掛けた詩人・草野心平さんが書き続けた「蛙の世界」をモチーフに、作品を創りあげることになりました。公演当日まで新井さんが学校に来れるのは10日間あまり。芸術家と子供たちのコーディネータを通して、新井さんからはたくさんの宿題が出されたのだそうです。

 

「最初は演目のタイトルを蛙の言葉遊びにするか、草野心平の詩から引用するかという相談でした。子供たちと話していく中で、草野新平が詩にした蛙語から新しい言葉を作ったら面白い、ということになりました。蛙語の詩には対訳がついていましたが、どの部分がどの言葉にあてはまるのかわからない。でも国語の授業として詩をみんなで読みながら言葉の規則性を見つけていくうちに、いくつか解読ができたので、そこから言葉を並び替えて「なみかんた いいびりやん ぼろびいろてる~みんな美しい夢を見る~」というタイトルを作りました。子供たちもとても面白がっていました。」

 

「歌を作って歌いたい」と言い出した新井さんからは“人間だけがやってカエルがやらないことは?”を考えるという宿題も出たそうです。子供たちから出たのは「髪を切る」「楽器を演奏する」「嘘をつく」「犯罪」「発明」などの答え。その言葉は「どうして人間だけが〇〇するの?」という歌詞を歌い継ぐ「どうしてソング」となり、バンドを従えたツインボーカルとコーラス隊によって歌い上げられることになります。

 

宿題以外にも、 先生は子供たちと歌の編成を決めたり、面白くなるような構成を考えたりしたと言います。

「前回の学芸会に関しては結構一緒にやりました。今回は宿題をいろいろ出されたので、子供たちと一緒にやっていく。でも私が答えは出さないというのを気をつけました。どこまでやっていいのかっていうのは難しいですね。出演者で出るわけでなく、演出家はアーティストさんで。そこらへんのバランスは難しい。でも新井さんは『やってもいい。やって欲しい。』と言ってくださった。一緒に創るんだって感じでしたよね。私が面白くて付け加えた場面もありました。新井さんも結構面白がってくれて、私も一緒に面白がってやりました。新井さんとの関係もすごくよかったです。」

 

充分とはいえない準備期間の中でも芸術家と子どもたちのコーディネーターが新井さんと先生をつなぎ、子供たちとアーティストを先生がつなぐという連携によるコミュニケーションを重ねていくことで、作品はどんどん形づくられていったのです。

プロ同士のコラボレーションと同じだった

本番となる学芸会は2日にわたり行われました。取材当日にその時のビデオを見せて頂きましたが、カエルと人の視点を行き来しながら語られていく人間社会が歌やフォーメーションダンスのような動きを織り交ぜながら幻想的に描かれ、舞台上には素晴らしい世界が立ち上がっていました。

 

初日を終えるとすぐ、先生たちは当日撮影した公演のビデオを見たそうです。すると、子どもたちから『ある場面のセリフの言い方を変えたらもっと面白くなるのでは?』という声があがりました。

 

「最初のほうは意欲的じゃない子もいたと思うんですけど、最後のほう、初日が終わったあとビデオを見直して、もう一回リハーサルやろうというところではすごく真剣に、もっとよくしようというのが、すごく見えました。」

 

公演後に新井さんからは「プロ同士のコラボレーションと同じだった」という言葉をかけられたそうです。もちろん、この取り組みは質の高い作品を作ることや公演を成功させるためだけに行われるものではありません。新井さんの言葉は、先生と子供たちが発揮した想像力だったり、考える力だったり、宿題をやりぬこうとする粘りだったりという、ひとりひとりが発揮した様々な力が、プロ同士とコラボレーションするときと同じような力を新井さんから引き出したこと、そのことに対する称賛でもあったのではないかと私には思えます。

 

子供たち自身がこの取り組みや自分達が過ごした時間について何をどう感じ、どう認識しているのかはわかりません。しかしプロとして活動する大人の本気の姿に触れたこと、そして大人を本気にさせるような力を発揮したことは、かけがえのない経験だったのではないでしょうか。

力をだせるような経験や場のために

子供たちが力をだせるような経験や場のために、大人はどうあればいいのでしょう?長嶋先生が経験されてきたアーティストとの時間や経験の中に、その手がかりがたくさん詰まっていると思いますが、最後に、この取り組みにおける長嶋先生の『ありかた』にも探したいと思います。

 

先生はこの取組におけるご自分の役割を、どのように考えていますか。

 

「最初はアーティストがつくりだしてる空間に教員というものが、どういう立ち位置でどう入ればいいのか、というのがわからなかった。どっちが主になるか、どこまでこっちが出たらいいのかというのがとっても難しくて。最近思っているのはクラスのマネージメントするのは私。アーティストは専門的なことをやってくださる。両者をつないでいくところなのかな、というのが最近の感想。出過ぎちゃいけないし出なさ過ぎてもいけないだろうし。バランスが難しい。まだわからないことがいっぱいある。お任せ投げっぱなしにせず、でもある程度は渡して、クラス全体のこととか、個々のサポートとか、なるべくオブザーバー・・・でも私はオブザーバーになりきれないですけど(笑)」

 

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この取り組みを、とても楽しんでいらっしゃいますよね。

 

「できたら一緒にやりたい(笑。自分が子供だったら嬉しいのになと思います。輪に入りたいなって。やってて楽しいですね。こどもたちが楽しんでる姿を見られるし、違った一面も見られるし、かかわり方とか。ワークショップでやってるアクティビティを授業で使えたりとか、いろんないい影響を子供も教員も受けることができる。子供たちには楽しんでほしい。0からつくるほうが大変だけど面白い。人が作ったものより自分たちで作ったほうが面白い。自分たちでやる。大変だったけど楽しかった。『面白かったよね』って後から笑える。絶対あとで強烈に残ると思うんですよね。『プロ同士のコラボレーションと同じだった』って言ってもらえて、「もっと出来たのにって」欲が出てきちゃいます。ふりきればいいのにって。自分を出さない、出しちゃいけないって思ってる子が多いのかなって。ものを作るために自分から殻を崩すってことは意図的にやりました。率先して私がたがを外すっていうことはよくやります。子供たちからは『先生、子供みたい。』とか『一番、楽しんでるじゃん。』て言われます。でも、先生があそこまでやってるんだから自分がやっても大丈夫かって。こっちが本気を出してやると、子供たちは最初クスクス笑ってますけど、最終的には結構面白がったり安心したりしてやる、っていうのがあります。だから担任が一緒に楽しむのが一番だと思います。これから先もこの取り組みは、自分がやりたいからやると思います。」

 

先生にとって「面白い」って、どういうことですか?

 

「自分で考えるのはとても面白い。いろんなことを。追及するとか。それはすごく面白い。勉強にも、いろんなアプローチがあってもいいかなとも思います。子供たちによく言うのは、なんでも面白さってあるんだよということ。つまらないと思うかもしれないようなことでも実は面白さがある。かつて仕事で毎日数百本の食パンを延々焼き続けるってことをやってたんです。他の人からみるとつまらない仕事かもしれないけど、その日の温度とか窯の状態を見ながらベストに焼き上げるっていうことの楽しさがある。今は職場のプール担当で薬の濃度を調整することをやってて、気温とか子供が何人入るかによって調整具合を予測するのが楽しい。なんにでも楽しさはあるし、自分たちの中から疑問をもつ。当事者意識ですかね。子供たちには楽しんでほしいんです。勉強とか。それを伝えたいというのが根底にあります。考えるとか、勉強ほど楽しいことはない。教えられたようにやれるということより、どうしてそうなっているのかを説明できるほうがいい。こどもたちってアプローチの仕方によって取り組み方が変わるので。とにかく楽しみたい。楽しくやりたい。漢字なんか覚えるの大変ですけど、それすら、見方によっては楽しめるんじゃないかと思います。自分が好きなこととか面白いと思ってることをみんなにもそう思ってほしいのかもしれない。基本的には面白がりたいです。」