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  • 未来教育リポート
  • 2015.07.24

子どもの教育と映画の関係について考える~「こどもが映画と出会うとき」シンポジウム

こども映画教室とは

2004年に石川県・金沢で始まった「こども映画教室」。

映画の仕組みをわかりやすく体験するワークショップや

映画製作ワークショップなどを通し、次世代を担う想像力豊かな

子どもたちを育成する取り組みを行っています。

「こども映画教室」では、

 

  • ・子どもと一流のアーティスト・映画人が出会うこと
  • ・大人は手出し口出ししない

 

ということを大切にしています。

この10年間に東京・横浜・相馬・弘前などで11回のワークショップを行い、

この間にゲストとして是枝裕和、諏訪敦彦、河瀬直美といった

名だたる映画監督をはじめとした一流の映画人たちが参加し、

子どもたち自身が協力して何かを創り上げる体験をサポートすることで、

子どもたちによる楽しい映画が生まれました。

今年の1月17日(土)・18日(日)には、「こども映画教室」や

こども映画祭の実践報告、映画監督や教育関係者の講演を通じて

これからの映画教育について考える「こどもと映画が出会うとき」上映会&シンポジウムが

神奈川県川崎市新百合ヶ丘で行われました。

この2日目のシンポジウムの模様をレポートしてきました。

学校教育における映画ワークショップの可能性

第1部は、学校教育において映画ワークショップがどのような影響を与え、

どのような可能性があるのかを探るための事例報告と講演が行われました。

まず事例研究として、公立の新田小学校の教諭、中川絵里子さんから

映像作家の上田謙太郎さんの協力を得て同小学校の授業内で行っている

映画教室の取り組みについての報告が述べられました。

中川さんいわく、公立小学校の魅力はさまざまな子どもたちが集まっていること。

その子どもたちに映画を通して学ぶ機会を与えたいと考え、

事前にこども映画教室のワークショップを見学に行き、学校教育への導入を働きかけました。

新田小学校では主に総合学習の時間を使って、ワークショップのための事前準備を進めています。

子どもたちは何を映画の題材にするのかいろいろ考えた末に、

新田町の竹について紹介しようと決め、シンポジウムのあとに控えている

3日間のワークショップのためにさまざまな試行錯誤をしているところだそう。

カメラの扱い方を知らなくても、そこから試行錯誤して撮っていくことで

子どもたちなりに工夫をしているので、これから始まる3日間のワークショップで

彼らの撮るものからどんな映画の可能性が生まれるのか、

子どもたちのよりよい学びになるような3日間のワークショップにしたいと

映画ワークショップに対する期待を語ってくれました。

 

映画製作によって子どもの好奇心や自己肯定感を育む

新田小学校の事例報告に続いて行われたのは、

北陸学院大学人間総合学部教授である金森俊朗さんの講演

「こどもむけ映画・映像ワークショップを学校教育でどう活かすか」が行われました。

 

今の学校教育では知識の教えこみが強く、

朝の学習も漢字や計算の練習といった、知識を身につけるための学習が行われる。

教科書のすみずみまで押さえることが優先され、

黒板には問題解決をするまての問題が書かれている。

そのために、日常の中で子どもたちが興味を持って調べたことを伝えることが

今の学校教育ではなかなか大事にされにくい状況にある。

子どもが子どもらしい問いを持つことが封印されているような状態にある。

唯一、子どもたちの問いを生かせているのが総合学習の時間。

このように教育が二極化されているのが、今の教育の問題でもある。

「こども映画教室」のワークショップは、子どもたちの奥に眠っているものが

カメラという媒体を通して出てくることによって、

カメラを手にした子どもたちの可能性を開くことにつながる。

先の事例報告にあるように新田小学校の取り組みは、

公立小学校における映画教育の新たな挑戦となりえる。

 

このように、金森さん自身が新田小学校における

映画教育の取り組みに期待を寄せていることを語られました。

また今の学校教育が抱えている問題として、

小中高を通じて不登校の生徒たちが多く、彼らが自分自身を立て直すことに

苦労していることがあげられました。

 

不登校の生徒たちの特徴は、自己肯定感が弱いことにある。

自分は誰からも必要とされていないという自己否定感が強い。

「こども映画教室」のワークショップで映画をつくっていくことは、

この自己肯定感を高めることにつながるのではないか。

映画という作品に自分自身を投影することで、自己表現となり

観てくれる多くの人に肯定されることにつながる。

この多くの人に肯定されるということが自己肯定感を高めることにつながっていく。

さらに自分を豊かに表現する際に、自分ひとりではなく仲間や大人など

多くの人といっしょにつくりあげていくことに意味がある。

子どもたちにかかわる大人が待ってあげることで

子どもの自発性、内発性を最大限尊重することにつながる。

新田小学校の取り組みはとても期待できるものだが、学校教育において

この映画ワークショップのような取り組みをどこまでできるかというと、

映画を撮るための機材が必要であったり、

今の学校の業務状況では、指導にあたる教師たちが読書をはじめとした

文化を豊かに鑑賞する時間がなく、そういったものに触れる機会が少ないため

まだまだ工夫の余地がある。

学校教育において、子どもたちが育っていく可能性をもっと広げていく必要がある。

そのひとつの方法として学校教育において映画ワークショップに取り組むのは

意味のあることではないか。

 

このように、映画ワークショップへの取り組みが、子どもの素朴な好奇心や

自己肯定感を育むことにつながる可能性があることを語られました。

 

 

 

 

子どもたちの自主性を育む京都国際子ども映画祭

第2部では、2つめの事例報告としてNPO法人キンダーフィルムフェスト・きょうとの理事長である

水口薫さんから、同法人が主催する京都国際子ども映画祭の活動と、

その活動を通して子どもたちの成長する姿を映像による報告がありました。

キンダーフィルムフェスト・きょうとが主催する京都国際子ども映画祭は、

1994年から始まった子どもたちによる、子どもたちの映画祭。

大人のサポートを受けながら、映画祭のすべてを子どもたちが運営していくことが特徴です。

映画を鑑賞したのち、公募で選ばれたこども審査員が話し合ってグランプリを決めます。

昨年8月に行われて第20回目の映画祭では、

子どもたち自身がつくったアニメーション映画も上映されたそうです。

このアニメーション映画のメイキングフィルムや実際に仕上がった映像を見せてもらいましたが、

こどもたちがアイデアを出し合い、ひとつひとつていねいに映像をつくっていく過程を通じて

創造性を育み、みんなでひとつのものをつくっていく喜びを得ていくのが伝わってきました。

映画祭の模様も一部紹介されましたが、司会進行役を務める子どもたちが一生懸命に

自分を表現している様子がうかがえました。

このように子どもたちの自主性を育む京都国際子ども映画祭ですが、

最近の子どもたちは勉強や部活などで忙しいこともあり、

10年前にくらべるとスタッフのなり手が少なくなっているとのことでした。

 

 

映画づくりの過程で見えてくる子どもたちの個性

2つめの事例報告に続き、映画監督であり東京藝術大学大学院映像研究科教授である

諏訪敦彦さんによる講演「子ども向け映画・映像ワークショップが映画教育・社会教育に果たすこと」

が行われました。

諏訪さんは2010年3月に「こども映画教室」のワークショップ講師を2回務めたそうで、

その際に子どもたちが撮影した映像を紹介しながら、

映画をつくっていくプロセスの大切さについて語られました。

子どもたちが映画撮影をする際、諏訪さんが心がけたポイントは

 

  • ・あらかじめシナリオを用意するのではなく、撮影しながら物語をつくる。
  • ・撮影現場で即興で演技をする。
  • ・役割分担を決めない。

 

ということでした。

なぜこのように即興性を重視した映画づくりをするのかというと、

あらかじめ用意したセリフを言うのではなく、即興でセリフを言うことで

その場で感じたことを言葉にして表現することにつながる。

台本をつくって事前に構成を考えてという通常の手順で映画をつくると映画ごっごの域を出ない。

だから、映画をつくること以上に子どもたちが自分自身を表現するための手段として

即興性を重視しているとのことでした。

実際にどのような形で即興性を生かしながら映画づくりを進めていったのか、

その例として2014年に横浜で行ったワークショップから2つのチームによる

メイキング映像が紹介されました。

1つめのグループは、チームのなかで自然とリーダーシップをとる少女が現れ、

彼女が監督となることで、すべての最終的な意思決定が彼女によってなされるトップダウン型。

2つめのグループは、特にリーダーとなる人物は特定されず、

その場その場でアイデアを思いついた人が決めていくというランダム型。

2つのチームの映画のつくり方はとても対照的でしたが、

子どもたちなりに試行錯誤しながら、アイデアを交換しながら映画をつくっていく。

映画という手段を使ってコミュニケーションをしている様子が伝わってきました。

映画をつくることを通じて、相互にコミュニケーションしてさまざまな問題を解決していく。

そのプロセスを大切にするために、映画がどのようなシステムでつくられくのか

といったことは、できるだけ教えないで子どもたちにまかせてしまうのだそうです。

 

今の世の中は客観的な評価が大事にされ、

目的に応じて客観的な数値に縛られることが多い。

しかし、ものをつくるということについては、

いわゆるPDCAサイクルが確実に回るという保証はないし、どう回るかもわからない。

わからないけれどまずやってみよう、というところにポテンシャルがある。

世の中には明確な答えが出ないものがあるということを、映画を通して

伝えることができたらいい。

 

諏訪さんは、こういったところに映画そのものが持っている

大きな可能性があるのではないかと語られました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワークショップや映画の持つ多様性を教育においてどのように定義づけるか

続いて、青山学院大学社会情報学部教授の苅宿俊文さんによる講演

「ワークショップの視点から-映画教育が社会教育・コミュニティに与える影響」が行われました。

この「こども映画教室」のよさは、次の3つ。

 

  • ・映像という成果物があることで、結果の共有ができる。
  • ・映画を制作するにあたり、協働的にものをつくるという必然が生まれる。
  • ・制作した作品に対するプロセスが生まれる。

 

「こども映画教室」では子どもたちの表現を伸ばすために大人は口出しをしない。

そのことによって、子どもたちの思考が存在する、思考の代替不可能性、

つまりほかの人にはできない、その人にしかできないことを見つけることになる。

この子どもたちそれぞれの代替不可能性を見つけることが教育のミッションであり、

教育の公共性ではないか。

 

そのことを踏まえると、「こども映画教室」を含め、

このようなワークショップの課題は何かというと、

「ワークショップ」という言葉の持つ多様性にあるとのこと。

 

この「こども映画教室」に関していえば、このワークショップが

映画の教育のなのか、それとも映画による教育なのか、

その主体は子どもなのか、映画なのか、教室なのか。

ワークショップという言葉の持つ多様性の中から定義づけをすることが大事である。

また映画というものの持つよさ、つまり多様性にも注目すべきである。

「こども映画教室」のこれからの可能性は、ワークショップや映画というものの

持っている多様性を教育的に再構築することにある。

 

このことについて、これからみんなで考えていくことが大事であると締めくくられました。

 

 

 

 

 

 

 

映画づくりが子どもたちの学びにつながる

最後の第3部は、第1部と第2部に登場された全員をパネリストに迎え、

日本映画大学映画学部准教授、土田環の司会で

パネルディスカッション「なぜ映画なのか」が行われました。

全員で話し合うなかで出てきたのは、映画つくりにおいてどんなことが

子どもたちの学びになるのかということでした。

そのひとつは国語力をはじめとした教科への学力や、総合学習につながるということ。

 

「編集の仕方を学んだり、即興で考えることは国語力につながる。

作り手の意図をとらえ、その意図をどういった映像で発信していくのかを

考えることは、社会とのつながりに通じる。

映画づくりは協働的な時間のための総合学習になる」(中川絵里子さん)

 

「学校教育における国語や算数は、知識を獲得することが目的。

しかし知識があっても活用できなければ意味がない。

それを言語力やコミュニケーション力とからめて育めるのが総合学習。

映画では知識を得ることはできないが、学んだ知識を活用する場になる、

すまり総合学習の場になると訴えることができれば、

学校教育に映画づくりを導入する可能性はある」(苅宿俊文さん)

 

もうひとつは、メディアリテラシーを学べるということ。

 

「メディアリテラシーとは、読み解いて自分で考える力のこと。

今の学校の現場は、何かが足りないから知らなければならない

ということになっていないだろうか。

本当にものを考えることになっているのだろうか。

学校は、たくさんのことを教えることで子どもたちを育てていく。

たとえばメディアリテラシーであれば、メディアリテラシーとは

こういうものであるという知識を教えるという教育をする。

しかし、知識を得たところからさらに深く考えていくことが、

本当の意味で子どもを育てていく教育になる。

メディアリテラシーそのものとして映像をつくっていくことが、

メディアリテラシーとはどういうことかを考えていくことになる」(苅宿俊文さん)

 

「映画は総合芸術。そこからメディアリテラシーを学ぶ機会が得られることを願っている。

メディアリテラシーを身につけるには、まず国語力が大事。

さまざまな事柄がメディアでどう表現されているのかを考えることが、

自分で考える力を育てることにつながる。

カメラで映像を撮るということは、被写体に対する愛情である一方、暴力的なものでもある。

ときには被写体である相手を傷つけることにもなる。

映像を撮る際に、決して人を傷つけるようなカメラの使い方をしない、

ということもメディアリテラシーであり、映画づくりを通して

このメディアリテラシーを学ぶことにつながると思う」(水口薫さん)

 

「イギリスでは、メディアリテラシーを国語の題材にしている。

このメディアリテラシーを切り口にすると、学校教育に映画づくりを導入するカギになる。

「キャリア教育としての映画づくり」というほうがわかりやすいし、取り組みやすい」

(土肥悦子さん)

 

など、パネリストたちの言葉からは、

学校教育において身につけた知識を実践として生かしていくためのひとつの手段として、

映画づくりというワークショップは、さまざまな可能性を秘めている有効なものではないか

という大きな期待が感じられました。

 

 

シンポジウムを聴いてみての感想

このシンポジウムで事例報告や講演をされた方々の話や

実際のワークショップの映像などを観ていて、

子どもたちが自分で考え、自分で行動する力を身につけていくための手段として、

「こども映画教室」のようなワークショップは、とても意味のある大切な取り組みだと感じました。

特にいちばん印象に残ったのは「代替不可能性」という言葉。

誰にも替えのきかない、その子だからこその持ち味を生かす。

それは今の画一的な学校教育にいちばん足りないものだと思います。

たくさんの知識を身につけることも大切なことですが、

身につけた知識をどのように生かし、発展させていくのかは、

ひとりひとりが持っている「代替不可能性」を見つけてどう育てていくかにかかっています。

この「代替不可能性」を子どもたち自身が気づいて生かせるためにも、

多くの場所でこの「こども映画教室」のような取り組みが発展していってほしいと思いました。